第一章 人類史上最悪の一日は最悪だった


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2009年11月、よりによってそれは13日の金曜日のことだった。
もし石原貫之にその日について聞いたレポーターがいたとしたら、
(いや多分いるだろう、そして彼は大人だから実際には行わないが)
殴られたとしても文句を言ってはいけないと思う。

だが実際問題、彼がその日にぶち当たった問題ですら、人類にとっては
あまりに瑣末な出来事であったというのも事実である。
とはいえ、彼と同じ状況に陥ってしまったら、正直人類とかについて
考える余裕がある人がどれだけいるか疑問
ではあるのだが。

石原貫之、32歳、独身。
職業、現在進行形のニート(2009年11月当時)。
とはいえ数ヶ月前までは彼はきちんしたと職業についていた。
(その職業がきちんとしたものである、と考えない人もいるがそれは別問題だ。
 少なくとも彼はその職業において作業の代価としての給料を得ていたのだ。)
彼が何でニートになってしまったのかはしばらく置く。
しかし、それがこの日の不幸につながっていたのも確かだ。

確かに、彼がニートでヲタクでなかったら平日の昼間に秋葉原に出かけよう
などとは思わなかっただろう。
そして出かけた後に起こった事件についての予想などまったく出来なかったに
違いない。多くの人が事件に巻き込まれるきっかけなんていつもそんなものだ。

さて、どこから話を始めるのが良いかわからないが、とりあえず石原のおかれていた
状況あたりから説明するのがいいのかもしれない。
ひとまず事件が起こる数時間前にさかのぼる。

朝7時…石原は職業柄がまだ抜けていなかったのか、もう目が覚めてしまっていた。
朝日が差し込む安アパートの一室。
曲がりなりにもじゅうたんだけは引いてあるが、お世辞にもきれいなものとは
いえない代物である。
だが、安いながらも日の光だけはしっかり入るのだから結構いい物件では
あるように思えるのだが。

「…ん…なんだ…まだこんな時間か」
正直、石原にしてみればもう仕事とは縁を切っていたわけで、そんな朝から
起きてもすることもない。
朝飯を食うにしてもメシ代もただではないのだ。
それに朝から起きだすなど、せっかくのニート生活を満喫できないではないか。

散らかった部屋。
宿舎にいたころには考えられない状況だ。
まったく俺は何をしているのだ、と苦笑いしか出ない。

散らかった服、ダンボール、そしてビニール袋…
汚らしい部屋のなかで、唯一整理されているのが棚の上のプラモデル類。
一部女子に人気のロボットアニメの機体であるが、話はともかく機体自体は
そこまで悪いわけではない、と石原は友人に語ったことがある。
その隣には一部男子に人気だった彼の一番好きな機体が置いてあった。
格闘戦をやる機体に見えないのに格闘を行うところが好きだそうだ。

かつて一番精神的にきつかった時期を支えてくれたのがそのアニメだった
という話を何度か友人たちは聞いている。
そんな話だったか?とある男は聞いたが、石原は力のない笑みを浮かべて
別に話自体がどうこうじゃなかったんだとだけ言い、後は黙っていた。

プラモデルは必殺技の構えで空の上の何かを打ち負かそうとしているのか?
空に向かってその手を突き上げていた。

プラモデルを見ながら石原は一人思う。
アニメの主人公にはわかりやすい敵がいた。
そして、そのわかりやすい敵を倒せばハッピーエンドだった。

ところが現実はどうだろう?
戦おうにも戦えず、対処しようとしたときにはもう大変な事態になっていた。
そんな事態になってすら「対処」することに反対する連中がいたのだ。

現実は戦うべき相手である。
だが、現実相手では戦いようのない場合すらある。
さらに意味のない争いが、石原を限界まで疲れさせた。
そんなわけで彼は仕事をやめ、ニート暮らしをはじめたのだった。

職場がいやだったわけではない。
ただ、意味のない派閥争いやら戦おうにも戦えない現実やらが彼の精神を
ずたぼろにして、結果的にこうなってしまったのだ。

誰が悪いのか?
…誰が悪いかといえばそんな職場を選んだ自分かもしれないし、
派閥争いをしている連中やら、日本という国よりワールドワイドな思考を
優先させることが大好きなグローバルシビリアンかもしれないし、
あの豚…といっても行方不明なので責めても無駄だろう。

ニート生活になってからは多少の家賃と微々たる光熱費、そして口に
糊するという言葉がふさわしい暮らしぶりではあったが、それでも
貯金は少しずつ減ってゆく。
適当な時期を見てハローワークにでも行かねばならないだろう。

そんなことはわかってはいたが、どうしても今行く気にはなれない。
精神科医が診たならどう見てもうつ病です、とくらいのことは
いうかもしれない。
いずれにしろ確実にわかっているのは自分がひどく精神的に疲れていると
いうことで、だとすればやるべきことはそう多いとはいえない。
そう、後しばらくはニート暮らしをしながら精神を治療しよう。

そこまで考えると、石原は再び布団の中に戻って目を閉じることにした。
布団の中のみが唯一現実を忘れさせてくれるのだ

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石原が再び目を覚ましたのは正午を過ぎたころだった。
朝から何も食べていないわけで、さすがに腹も減る。
最近米の飯を食った記憶がない。
米も今の石原にとっては決して安いものではない。

かといってパンの耳生活を長く続けるなんてのは精神を
病みそうなのであまり考えたくはない。

結局小麦粉を水に溶いて何か作るか麺類が主体になる。
麺類ばかりも飽きる…飽きるが腹は減る。
カップラーメンばかりでは一月程度は良いかもしれないが、それ以上は
体が受け付けなくなりそうだ。
大体カップラーメンの開発者ですら毎食は食べないだろう。

たとえどんなものでも偏った食事をすればそりゃ体を悪くするというものだ。
世間で言われるカップラーメンの害というのは、実は偏った食事の害に
他ならないのかもしれない。

米であっても米だけを食べ続けたらどうなるかを考えてみると、
あ、玄米なら意外と平気かも知れんな。そんな思考をぐるぐるとしていると
…ぐるぐると腹が鳴る。
このような、キングオブニートな生活であっても腹は減るし腹は鳴る。

キングオブニート カンジ・イシハラ!

…バカか。空腹が脳を侵食しているらしい。
考えることをあきらめて石原は食事を作ることにした。
冷蔵庫の中にあるのはモヤシと焼きそば…そう、選択肢など、ない。
もやしでボリュームを増大させた焼きそばが石原の主食である。
たまに豚コマでもいれられたら感涙だ。
豚コマで感涙できる人生…なんと小さな人生であることか。

しかしながら、こんな状況であっても人はなお生を望む。
すべての生物の因業、それは生きようとする意志である。

「…豚コマ…まだ…あった… あれ…なんだこれ…」

生きようとする意志は感情を生み、それがさまざまな形で表現される。
頬を伝う熱いものがフライパンの中に流れ込んだとしても、それは
仕方のないことなのかもしれない。

…その日の石原が作った昼の焼きそばが塩辛かったのは、味付けを間違えた
せいではない
ということだけは、本人の名誉のために言っておこう。

窓の外には田んぼが広がっている。
もう刈り入れは終わっている秋の田だ。
周りにはこんなに田んぼがあるというのに米さえ食えない現実。

いや、いつの時代であっても米を食えない人間なんていただろうし、
もっというなら食えるものがあるだけ(とりあえずかろうじてまぁ何とか)
一部の発展途上国の人たちよりはましなのも確かだが…
本当にそうか?

この国で生きるための最低限の金額はあまりに高すぎる。
インドなら2円あれば一日生活できる場所もあるが、この国で2円ではどうやっても
生活できないのだから…

今食べている焼きそば、一個33円にもやし33円。
それに加えて豚コマ22円で88円もかかっているではないか。
豚コマ加えなきゃ66円で済んだのだけれども…それは今日はやりたくなかった。
いったい一食いくらが最低額になるのだろうか…
小学校の給食って160円くらいだといわれているが…

微妙に遅いなんだか塩辛い昼飯を食い終わり、ただぼーっと時が過ぎるのを
感じていても良かったのだが、石原は久しぶりにどこかに出かけようかと
思っていた。
といっても行きたいところなど限られてはいたし、近くの駅からだと
行きやすくてかついける場所は…あそこしかなかったのだが。

つくばエクスプレス沿線…2005年度に開通した路線であり、現在彼が
住んでいるあたりでもあり、今日の彼の目的地はまさにその終着駅で
あるのはいうまでもない。

この先起こることなどまったく予測できない、神ならぬ身の一人の男は、
鼻歌など歌いながら出かける準備を始めていた。

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